大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)7891号 判決 1989年8月30日
原告
冨吉正
ほか四名
被告
中山修
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告冨吉光雄に対し、金七四万八〇〇〇円、同冨吉郁子に対し、金一五万円、同冨吉初枝に対し、金一万八〇〇〇円、同冨吉正に対し、金一八万八〇〇〇円、同冨吉文雄に対し、金一万八〇〇〇円及びこれらに対する昭和六二年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
(一) 日時 昭和五九年八月一三日午後二時五分ころ
(二) 場所 鳥取県八頭郡智頭町大字市瀬一三四八先路上(国道五三号線)
(三) 加害車両 普通乗用自動車(岡五五ろ五九六八号、以下、「被告車」という。)
右運転者 被告
(四) 被害車両 普通貨物自動車(大阪四四す四一〇一号、以下、「原告車」という。)
右運転者 原告冨吉光雄(以下、「原告光雄」という。)
(五) 態様 原告車が前記場所を鳥取方面にむけて進行していたところ、対向の被告車がセンターラインを越えて原告車進行車線に侵入してきたため、原告車と被告車とが正面衝突するに至つたもの(以下、この事故を「本件事故」という。)
2 被告の責任
被告は、本件事故当時、被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)第三条に基づき、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 原告らの受傷
原告らは、本件事故によりそれぞれ以下のとおりの傷害を受けた。
(1) 原告光雄
左顎関節亜脱臼、右第七・第九肋骨骨折、右上腕擦過傷及び打撲等
(2) 原告冨吉郁子(以下、「原告郁子」という。)
左下腿外傷性末梢神経症、外傷性頸部症候群
(3) 原告冨吉初枝(以下、「原告初枝」という。)
左頭蓋凹骨折、顔面挫創等
(4) 原告冨吉正(以下、「原告正」という。)
右大腿近位部骨折、右上腹挫傷打撲、両足挫傷
(5) 原告冨吉文雄(以下、「原告文雄」という。)
頸腕症候群、前頭部・顔面・前胸部挫創、上歯(三本)・下歯(二本)欠損
(二) 原告らの入院及び特別室の使用
原告らは、前記傷害の治療のために訴外外科医療法人長生会布施病院(以下、「布施病院」という。)にそれぞれ下記の期間入院し、その際、いずれも特別室(二人部屋)を利用したが、その室料差額は、一人一日当たり六〇〇〇円であつた。
(1) 原告光雄 昭和五九年八月二三日から同六〇年八月三一日まで三七四日間
(2) 原告郁子 昭和五九年八月二三日から同年一一月五日まで七五日間
(3) 原告初枝 昭和五九年八月二三日から同年同月三一日まで九日間
(4) 原告正 昭和五九年八月二三日から同年一一月五日まで及び同年一二月二〇日から同六〇年一月七日まで計九四日間
(5) 原告文雄 昭和五九年八月二三日から同年同月三一日まで九日間
(三) 特別室使用の必要性
右特別室の使用は、原告光雄の症状が重篤であつたうえ、布施病院の病室が少ないという物理的制約の中で、本件事故により家族全員が負傷して入院を余儀なくされた原告らが家族で同室になるためにも、また、未だ幼少であつた原告正と親である原告光雄が同室になるためにも必要であつたものである。
(四) 室料差額の支払
原告らは、布施病院の請求により、昭和六二年八月三日、前記特別室使用による室料差額として、一人一日当たり二〇〇〇円の割合によりそれぞれ以下のとおりの金額を支払つた。
(1) 原告光雄 七四万八〇〇〇円
(2) 原告郁子 一五万円
(3) 原告初枝 一万八〇〇〇円
(4) 原告正 一八万八〇〇〇円
(5) 原告文雄 一万八〇〇〇円
よつて、被告に対し、自賠法三条に基づき、原告光雄は七四万八〇〇〇円、原告郁子は一五万円、原告初枝は一万八〇〇〇円、原告正は一八万八〇〇〇円、原告文雄は一万八〇〇〇円及びこれらに対する不法行為の日ののちであり、本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年一〇月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2は認める。
2 同3の(一)、(二)は認めるが、(三)は否認し(四)は知らない。
原告らの特別室使用は、治療上の必要によるものではなく、このことは原告光雄が入院三七四日中一二四日、同郁子が同七五日中五一日にもわたつて外出(外泊は外出二日として計算した。)しているうえに、原告光雄の外出は事故の約一か月後の昭和五九年九月一六日から始まり、その後ほぼ一週間毎に外出外泊していることからも明らかであり、従つて、原告らが支払つた室料差額は本件事故と相当因果関係のある損害とはいえない。
三 抗弁
1 示談契約の締結
被告は、昭和六一年一〇月三〇日に、原告郁子、同初枝、同正、同文雄との間で、また、昭和六二年四月一四日に原告光雄との間で、それぞれ本件事故による損害賠償請求権に関し、以下のような内容の条項を含む示談契約を締結した。
(一) 被告は、本件事件により原告らの受けた後遺障害を含む一切の損害(ただし、治療費は除く。)を賠償するため、既に支払つたものの外に、原告光雄に対し一四五〇万円、原告郁子に対し八九〇万円、原告初枝に対し一〇六五万円、原告正に対し二七〇万円、原告文雄に対し三一〇万円を支払う。
(二) 原告らの布施病院における治療費は、被告と布施病院とが協議又は訴訟により決定して、これを被告が支払うものとし、原告は右決定に異議を述べない。
(三) 原告らと被告との間には、本件事故につき、右の外に債権債務はないことを双互に確認する。
2 被告は、右示談契約に基づき、布施病院との間で原告らの治療費に関する協議を行ない、当初布施病院は原告らの治療費として総額二三七八万五九三〇円を請求していたのを、協議の結果、昭和六二年六月九日ころ、前記室料差額一人一日あたり六〇〇〇円を四〇〇〇円に減額するなどして、治療費総額を一八三七万〇七四〇円に減額する旨の合意が成立したので、そのころ、右減額合意に基づき、減額された治療費の全額を布施病院に支払つた。
3 従つて、原告らが布施病院に対して治療費ないしは室料差額を支払つたとしても、右示談契約(二)、(三)項により、被告には、もはやこれを賠償する義務は存しない。
四 抗弁に対する認否
抗弁1は認めるが、同2は不知、同3は争う。
被告と布施病院との間に原告らの治療費の減額の合意が成立しているとしても、右合意には本訴請求にかかる原告らの室料差額は含まれていない。
従つて、被告主張の示談契約により、右室料差額を支払つたことによる損害の賠償請求権が消滅したことにはならない。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1、2の事実及び同3の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、証人渡辺健児の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第三号証並びに弁論の全趣旨を総合すれば、請求原因3の(四)の事実が認められる。
二 そこで、請求原因3の(三)(特別室使用の必要性)についての判断に先立ち、まず、抗弁について判断する。
1 抗弁1の事実は当事者間に争いがない。
2 成立に争いのない甲第四、第五号証、乙第一ないし第九号証、第一〇号証の一ないし一三、第一一ないし第一四号証の各一、二、第一七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八号証、証人下西攻及び同渡辺健児の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告らの布施病院への入院後まもなく、被告との間で被告車について自動車保険契約を締結していた訴外千代田火災海上保険株式会社(以下、「千代田火災」という。)は、布施病院に対し、原告らの治療費は被告の契約保険会社として、布施病院の請求に基づき、自社において支払う旨の申入れをした。この申入れに応じ、布施病院は、昭和五九年一一月一〇日ころ、千代田火災に対し、同年九月末までの原告らの治療費の請求をしたが、右請求額は、光雄分のみで二二一万一八七〇円、原告ら五名分合計で五七〇万円余に上つたので、千代田火災の本件事故の担当者は、これを異常に高額であると受け止め、右請求額の支払いを留保して次回の請求まで様子をみることにしたが、昭和六〇年五月一一日ころの第二回目の請求も、原告光雄分で六二一万二七四〇円、原告ら五名分合計で一〇三〇万円余になり、昭和六一年六月まで続いた原告光雄のその後の治療費を合わせると、布施病院からの総請求額は二三七八万五九三〇円に上つた。
(二) そこで千代田火災は、昭和六〇年六月ころから、弁護士を立てて布施病院との間で原告らの治療費の減額交渉を開始したが、右交渉において、千代田火災は、布施病院における原告らの治療はいわゆる自由診療であつたので、原告光雄に対するその後の治療を健康保険診療に切り換えること及び治療費の相当性の検討ができるように健康保険診療に準拠した点数の記載のある診療報酬明細書の交付を要求するとともに、傷害の治療は初期に最も高額の治療費を要するのが一般であるのに、布施病院の治療費は原告らが事故後同病院に転院するまで入院して初期治療を行つた智頭病院の治療費と比べると二ないし三倍にもなる高額なものであることや、同一診療が健康保険診療費の二倍程度になる自由診療の診療報酬の不合理性等を問題にして、原告らの治療費の減額を要求した。
(三) しかしながら、右交渉は、昭和六〇年七月ころ、千代田火災と布施病院との話合いの席上で、原告光雄がその後の治療を健康保険診療に切り替えることに同意し、その手続をしたにもかかわらず、布施病院の示唆でのちにこれを撤回したことや、布施病院が点数の開示をしようとしなかつたことなどから難航し、千代田火災が原告らの治療費の支払いを留保するという状態が続いた。
(四) このような状況の下で、原告光雄の傷病は昭和六一年六月末までには治癒し、その他の原告についてもそれまでに治癒していたので、同年一〇月三〇日には原告光雄を除く原告らと被告との間で、前記争いのない抗弁1記載の示談契約が締結された。
(五) 千代田火災と布施病院との間の前記交渉はその後も進展せず、そのため昭和六一年一一月ころには、布施病院の申出でにより、大阪府医師会、自動車保険料率算定会大阪地区本部及び日本損害保険協会大阪地方委員会の三者が医療機関と損害保険会社間の紛争の調停等を行うために組織した自動車保険医療連絡協議会の協議に持ち込まれた。右協議会での最初の折衝が行われたのちまもなく、千代田火災は、布施病院の請求額の半額程度の支払いをしたが、布施病院が健康保険診療に準拠した点数の開示に難色を示したため、交渉は長期化し、このような状況の下で、昭和六二年四月一四日、原告光雄と被告間に前記争いのない抗弁1記載の示談契約が締結され、その後、同年六月ころに至り、一点単価を二〇円とすること以外はすべて健康保険の診療報酬基準に準拠することによつて生ずる三四〇万円余の計算上の減額分の減額と、そのほかに室料差額を含む治療費を全体として二〇〇万円減額し、原告らの室料差額を含む治療費の総額を一八三七万〇七四〇円とすることで両者の交渉が妥結し、千代田火災は、同月一八日ころ、右妥結額から既払額を差し引いた残額を布施病院に支払つた。
(六) 自動車保険医療連絡協議会における前記協議においては、布施病院は原告らの室料差額を含む治療費のすべてを対象として調査と紛争のあつせん、調停を求め、これに対し、千代田火災は、原告らの診療について過剰診療の疑いがあり、また、特別室使用の必要性についても疑問がある旨主張して、点数の開示と大幅な減額を求めていたが、同協議会の医師会代表委員(以下、「医師委員」という。)のあつせんにより、点数の開示の結果当事者間でほぼ合意が成立していた前記三四〇万円余の減額のほかに、総額で二〇〇万円の減額をすることで妥結したものであるところ、協議の過程においては、布施病院が室料差額の減額に強く反対し、医師委員に対し、室料差額が減額された場合にはその分を原告らに請求するとの意向をもらしていたこともあつたが、医師会としては、室料差額には関与しないという方針をとつていたので、前記三四〇万円余のほかに室料差額一人一日当たり六〇〇〇円を四〇〇〇円に減額することを含めて、総額で二〇〇万円の減額に応ずれば、残額を支払う旨の千代田火災の申出でを布施病院が承諾した際には(この承諾は千代田火災の関係者の不在の場所で医師委員に対してなされた。)、医師委員が室料差額の残額を原告らに請求するかどうかを布施病院に確認したことも、布施病院が原告らから残額を請求するつもりである旨を表明したようなこともなく、右承諾の返事は何らの条件又は留保のないものとして千代田火災に伝えられ、千代田火災は、右承諾により原告らの治療費は室料差額を含めてすべて解決したものと考えて残額の支払いをし、布施病院も千代田火災に対する関係ではすべて解決ずみであるとの態度をとつていた。
(七) 以上の千代田火災と布施病院間の交渉の過程において、原告らが交渉に介入したようなことはなく、また、前記のとおり千代田火災が長期間治療費の支払いを留保していた間においても、原告らが自ら治療費の支払いをしようとしたようなことはなかつた。
3 右認定の各事実によれば、千代田火災は、原告らの治療費については、自動車保険契約の保険者として最終的には自己が負担しなければならないことになるところから、布施病院に対し、利害関係のある第三者として弁済の申入れをするとともに、その額の確定のための交渉(減額交渉)の申入れをし、布施病院も、右事情を知つて千代田火災との交渉に応じ、かつ自動車保険医療連絡協議会に対し、原告らの治療費(室料差額を含む。以下、同じ。)を対象として調査と紛争のあつせん、調停の申出でをし、そのあつせんにより条件や留保を付することもなく減額の承諾をし、弁済の受領をしたものと認められるから、原告らの治療費のすべてについて千代田火災と布施病院に合意が成立したものというべきである。そして、千代田火災が右合意により確定した治療費の全額を支払つたことは前認定のとおりであるところ、千代田火災が被告車について被告との間で自動車保険契約を締結していたことは前認定のとおりであり、千代田火災が右保険契約に基づいて被告のためにも右交渉、合意及び支払いをしたことは明らかであるから、被告は、前記争いのない示談契約(この示談契約(二)項の布施病院における治療費中に室料差額が含まれていることは、前記認定事実及び弁論の全趣旨により、明らかである。)により、原告らに対して千代田火災が支払つた以外の治療費の支払いによる損害の賠償義務はないものというべきである。
なお、布施病院が右承諾に際し、室料差額の残額を原告らに請求する意思を有しており、右請求が可能であると考えていたとしても、前認定のとおり右意思は表示されていないのであるから、右認識に反して原告らに請求し得ないことになつても、動機に錯誤があつたものにすぎないから、減額の合意の効力に影響はなく、この合意により確定した治療費の全額を千代田火災が弁済したことは前認定のとおりであるから、右弁済は債務の本旨に従つた弁済に当たり、布施病院の原告らに対する治療費債権も弁済によりすべて消滅したものというべきであるが、仮に原告らの布施病院に対する室料差額残額の支払債務が消滅していなかつたとしても、前記争いのない原告らと被告間の示談契約の内容、前認定の千代田火災と布施病院間の原告らの治療費をめぐる交渉経過、右交渉及び治療費の支払に対する原告らの態度並びに右示談契約の成立時期等を考え合わせると、原告らが右示談契約で治療費以外の損害の賠償として相当額の金員の支払いを受けたうえ、布施病院の治療費については、その額の確定の交渉と支払いを被告に委ね、その外に債権債務は存在しないことを確認したことにより、被告に対して右治療費の弁済等をして布施病院に対する自己の債務の免責をさせることを請求する権利までを放棄したものではないにしても、少なくとも自己の自由意思で布施病院に対する治療費を支払つて、これを本件事故による損害として被告に賠償請求する権利は放棄しているものと解するのが相当であるから、原告らは、布施病院から治療費の請求を受けた場合には、これを被告に通知して自己を免責させることを請求すべきであり、右通知をしたうえで被告の承諾を得て支払つた場合か、布施病院から訴えを提起され、被告に右訴訟の訴訟告知をしたにもかかわらず、被告が訴訟参加等をして有効な防禦をしなかつたために敗訴判決を受けた場合のような特段の事情のある場合のほかは、布施病院に対して治療費を支払つても、これを本件事故による損害として被告に賠償請求することはできないものというべきであるところ、原告らは、布施病院に室料差額残額を支払つた際に前記のような特段の事情があつたことについては、何らの主張立証をしていないから、この点からも原告らは右支払額を本件事故による損害として被告に賠償請求することはできないものというべきである。
従つて、被告の抗弁は理由がある。
三 以上の次第で、原告らの本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないことが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 笠井昇 本多俊雄 中村元弥)